山陽小野田市の発展に貢献した偉人、笠井順八。日本のセメント産業の礎を築いた彼の功績を称える銅像が、若山公園内に建立されています。

笠井順八翁ってどんな人?

笠井順八は、1850年、長門国豊浦郡小野田村(現在の山口県山陽小野田市)に生まれました。幼い頃から学問に秀で、藩校明倫館で学びましたが、身分の違いによる差別を受けて中退。その後、独学で勉学を続け、英語や蘭学を習得しました。

明治維新後、山口県庁に勤務し、財政再建に尽力。その後、産業振興に力を注ぎ、1881年、日本初の民間セメント会社「小野田セメント製造会社」(現・太平洋セメント)を設立しました。

笠井順八は、セメント事業だけでなく、石炭開発、鉄道敷設、道路建設、港湾整備、学校設立など、幅広い分野で地域の発展に貢献しました。彼の功績により、小野田は近代的な産業都市へと発展を遂げました。

笠井順八は、「会社と地域の発展は不可分」という信念を持ち、地域社会への貢献にも熱心でした。病院や学校の設立、道路や橋の建設など、様々な社会事業に携わりました。

晩年は、私財を投じて若山公園を造園し、市民に開放しました。この公園は、現在も市民の憩いの場として親しまれています。

笠井順八翁像の見どころ

  • 堂々たる姿: 高さ3メートルの銅像は、笠井順八の偉業を象徴する堂々たる佇まいです。
  • 未来を見つめる眼差し: 銅像は、小野田の街を見守るように、未来を見つめています。
  • 象徴的な球体: 銅像の前には、直径1メートルの球形の大理石が置かれています。これは、セメントの原料である石灰石を象徴していると言われています。
  • ゆかりの地: 銅像が建つ若山公園は、もとは笠井順八の私庭でした。

基本情報

項目内容
名称笠井順八翁像
所在地山口県山陽小野田市大字小野田字三の若山2055-1(若山公園内)
アクセスJR小野田線南小野田駅から徒歩約12分

銅像を訪れる際のポイント

  • 若山公園の自然豊かな景色と共に、笠井順八翁の功績に思いを馳せてみましょう。
  • 銅像の周りには、桜やツツジなど、季節の花々が咲き誇ります。

周辺情報

  • 若山公園: 春には約300本の桜が咲き乱れる、お花見の名所です。
  • 小野田セメント山手倶楽部: 大正時代に建てられた、珍しいコンクリートブロック造りの建物です。

まとめ

笠井順八翁像は、山陽小野田市の発展に貢献した偉人の功績を後世に伝える、貴重なモニュメントです。若山公園を訪れた際は、ぜひ笠井順八翁像にも足を運んでみてください。